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『牡蠣工場』想田和弘監督ロングインタビュー(2/3)

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なぜ“観察”しているだけなのに“伝わる”のか?

Q:テーマや着地点を決めずに「観察」をしていると、映画をどこで終わらせるのかがわからなくなったりはしませんか?

僕の場合、まず編集をするときに、撮った映像を全部観るんです。で、ああこの場面は面白かったなというシーンから時系列を無視して編集していきます。それが20シーンとか30シーン出そろってきたら、一旦全部つないでみる。でも、これが大抵メチャクチャつまらないんですよ!

牡蠣工場
『選挙2』より

Q:面白いシーンばっかりのはずなのに(笑)。

そう思うでしょう。でもこの段階では編集にロジックがないから、ただのシーンの羅列でしかない。そこからが本当の勝負で、シーンを入れ替えて、足して引いてと試行錯誤の繰り返しで、今回は「第5編」(原稿でいう第5稿のようなもの)くらいまで作ったのかな。映画の出だしと終わり方が見えてくると、その映画について少しわかってきたってことなんでしょうね。逆に言うと『選挙2』(※2005年、自民党公認候補として川崎市議会議員補欠選挙で当選した山内和彦さんが市議の任期満了後、脱原発を掲げ、東日本大震災直後の2011年4月に行われた統一地方選挙に完全無所属で出馬する姿を追った作品)は最後のシーンありきでした。演説する山さんからちょっとずつカメラが遠ざかっていくあのショットが大事だというのが、編集を始める際の最初のインスピレーションでした。今回は編集の途中で、今のラストショットで終わる意味に気付いた感じです。

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牡蠣工場
『精神』より

Q:中国人の労働者が工場にやってきたときに、一度工場の人から「撮影を止めてほしい」と言われますよね。あそこで監督自身も映画の当事者の一人になる。「観察」する上で取材者がどこまで写り込んでいいのかという疑問はありますか?

『選挙』のころは自分が出てはいけない、(被写体に)カメラを意識させてはいけないと思っていたんです。ただ2作目の『精神』(※岡山市内の精神科診療所に集う人々の精神世界を通して、現代に生きる日本人の精神のありようを探ると同時に、精神科医療を取り巻く課題も浮き彫りにする)を作ったときに考え方を変えました。精神科診療所の患者さんにカメラを向けさせてもらったんですが、僕がどれだけ「カメラはいませんからね」って言っても「いや、いるでしょ」って感じで話しかけてくる(笑)。しかもそのシーンがすごく面白い。僕の存在によって引き出された面白さなんですね。撮影中は「面白いけど使えないな」と思っていたんですが、そもそも方法論って面白い映画を作るためにあるんであって、ルールのせいで映画がつまらなくなるのは本末転倒じゃないですか。そこで思い出したのが「参与観察」という言葉で。

Q:参与……ですか?

はい。宗教学や文化人類学でよく使われる言葉なんですが、何かを調査するときに、調査する本人の存在が必ず現実に何らかの影響を与えるわけで、観察者がいることで変化した現実しか記述できない。だから自分自身を含めた世界を観察するという意味でして、「観察映画」がやっているのは参与観察なんだと『精神』の編集中に気付いたんです。今は必要に応じてどんどんしゃべりますし、今回は妻まで登場人物として出ていますしね。本人は恥ずかしがっていましたが(笑)。

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トレードマークの「猫」に隠された秘密が明らかに!

牡蠣工場
『牡蠣工場』で牛窓の人々がかわいがる白猫のシロ

Q:『牡蠣工場』には冒頭から近所の猫が登場します。監督の作品によく猫が映るのは意図的なのでしょうか?

単純に猫が好きだっていうはありますね(笑)。柏木の実家にも野良猫がいっぱい居ついていますし、それが、『Peace ピース』(※想田監督の妻の実家がある岡山市を舞台に、福祉の仕事に従事する義理の父母の日常や、彼らの家に住み着いた猫たちとの何げない日常にカメラを向ける)では作品のバックグラウンドになっているわけですけど。僕の実家にも常時野良猫が5、6匹いて、猫を見るとつい撮りたくなっちゃうんです。

牡蠣工場
『Peace ピース』より

Q:でも『牡蠣工場』のシロという猫には外部からの侵入者という意味合いがありますよね?

侵入者ですか。そういう言葉を使うと、ちょっとおどろおどろしいですね(笑)。シロについては、最初はかわいいなと思って撮っていただけですが、シロが執拗に僕らの借りている家に入りたがる。その様子が何かのメタファーに見えてきたんです。シロには別に家があって、本当の飼い主がいるのにわざわざ他人の家に入ろうとしている。僕らにも入ってきて欲しい気持ちはあるんだけど、完全に家族のメンバーとして受け入れることはできない。それが段々、中国人の労働者の人たちと重なってきた。もっと言うと、僕も日本人でありながらニューヨークに暮らしていて、今度はニューヨークから牛窓に映画を撮りに来ている。かなり重層的なメタファーなんじゃないかと思い始めて、途中から本腰を入れて撮影しましたね。

Q:『精神』や『演劇1』の猫も印象的でした。

『演劇1』(※平田オリザが唱える「現代口語演劇理論」に基づく芝居のリアルな世界観をひも解くべく、戯曲の執筆や稽古、照明や舞台美術、ワークショップなど劇団の運営を取材)の猫はまるで僕からのキュー(合図)を待って歩いているように見えたし、そんな猫を通じて「演じる」というテーマが浮かび上がってきた。『精神』のときはボロボロの白い猫がいて、舞台となった施設に住み着いていたんです。毛並みが乱れていて、明らかに病気を抱えていて、あの映画にピッタリハマる存在でした。

牡蠣工場
『演劇1』より

Q:もう猫はジョン・ウー監督にとっての鳩みたいな存在ですね。

ほとんどそうなってますね(笑)。最初の『選挙』のときはまだ猫はいなかったんですけど、署名のように機能しつつありますね。今ではサインを求められると猫の絵を描いちゃうくらいで(笑)。

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