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へプバーンの降板理由はレイプシーンか?未完のヒッチコック映画

幻に終わった傑作映画たち

幻に終わった傑作映画たち 連載第7回

アルフレッド・ヒッチコック × オードリー・ヘプバーンの『判事に保釈なし』

判事に保釈なし
Poster Designed by Simon Halfon 『判事に保釈なし』のフェイクポスター

 多くの巨匠や名匠たちが映画化を試みながら、何らかの理由で実現しなかった幻の名画。その舞台裏を明かす連載「幻に終わった傑作映画たち」の第7回は、オードリー・ヘプバーンが出演を熱望したというアルフレッド・ヒッチコックの『判事に保釈なし』をお送りする。意外かつ魅力的な組み合わせは、往年の映画ファンのロマンをかきたてる。だが、このスター映画が実現しなかったからこそ、あの『サイコ』が誕生したと言えるとしたら……?

No Bail for the Judge

監督:アルフレッド・ヒッチコック

出演:オードリー・ヘプバーン、ジョン・ウィリアムズローレンス・ハーヴェイ

想定公開年:1958-1959年

製作国:アメリカ

ジャンル:スリラー

スタジオ:パラマウント

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オードリー・ヘプバーンは、ヒッチコックとの仕事を熱望していた!

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ヘプバーンは以前から巨匠との仕事を切望していた Hulton Archive / Getty Images

 1954年、南フランスで『泥棒成金』を撮影中、アルフレッド・ヒッチコックはイギリスの作家ヘンリー・セシルの小説「判事に保釈なし」を偶然手にとる。アメリカで15年間仕事をした後、ヒッチコックは母国で映画を撮りたいと願っていた。ロンドンが舞台であること、そしてプロットも、ブラックユーモア好きの監督にはアピールしたに違いない。高等裁判所の判事が自ら墓穴を掘り、売春婦殺害の容疑をかけられるというストーリーは、いかにもヒッチコック映画らしい素地がある。

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『北北西に進路を取れ』のアーネスト・レーマンにオファーを断られたヒッチコックは、撮影現場で一週間口をきかなかった NBC / Getty Images

原作・脚本・舞台・そして出演者——傑作になる要素が揃っていた

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『裏窓』Boulevard / Getty Images

 ヒッチコックは早速、小説の脚色を『裏窓』(1954)、『泥棒成金』(1955)の脚本家ジョン・マイケル・ヘイズに打診する。彼から色よい返事をもらったヒッチコックは、『判事に保釈なし』を次回作に考える。だが、当時のハリウッドの倫理規定機関ヘイズ・コード事務局(1968年にMPAA[もとアメリカ映画製作配給業者協会]独自のレイティングを設けたため廃止)からの抗議を受け、ヒッチコックは代わりに1934年の自作『暗殺者の家』のリメイクを選んだ。

 この『暗殺者の家』のハリウッド・リメイク版『間違えられた男』(1956)がコケて、評論家からは傑作とうたわれた『めまい』(1958)が観客からは期待したほど熱い反応がなく、ヒッチコックは再びヘンリー・セシルの小説に目を向けた。今回は別の脚本家、アーネスト・レーマンに話を持ちかける。当時、撮影の最中だった『北北西に進路を取れ』(1959)の優れた脚本を手がけた人物だ。だが10万ドルの報酬に加え、利益の5%という破格の条件にもかかわらず、レーマンはオファーを蹴る。憤慨したヒッチコックは、現場で一週間口をきこうとせず、『めまい』の脚本家サミュエル・テイラーに話を振った。テイラーは喜んで受け、1958年9月11日、くたびれたスミスコロナのタイプライターを携えてパラマウント撮影所のヒッチコックのオフィスに出向く。そして早速執筆にとりかかろうとタイプライターに手を置いた瞬間、ヒッチコックからセシルの小説群を渡され、読んでおくようにと申しつけられた。

 おそらくヒッチコックが綿密なリサーチを要求したおかげで、テイラーの脚本はセシルの原作本にあったブラックユーモアのみならず、行間に染みこんだ英国人気質をもうまくとらえていた。また、判事の娘エリザベスのキャラクターには血肉が与えられた。小説中のエリザベスは、正直なところかなり薄っぺらい。脚本ではしたたかで頑固な弁護士として描かれており、健忘性がもとで殺人容疑をかけられた父の無実を確信し、嫌疑を晴らすために物腰柔らかなこそ泥とチームを組む。また、テイラーはヒッチコックが真骨頂を発揮できるシーンも用意していた。

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『泥棒成金』Sunset Boulevard / Gett Images
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監督のブロンドへの偏愛を考えれば、ヘプバーンの配役は注目に価する

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『ローマの休日』グレゴリー・ペックとヘプバーン Hulton Archive / Gett Images

 だが『判事に保釈なし』の最も魅惑的な、そして興味をそそる点は、キャスティングの妙だった。判事役に、ヒッチコックはお気に入りのイギリス人俳優ジョン・ウィリアムズを所望した。泥棒役にはローレンス・ハーヴェイ、エリザベス役にはオードリー・ヘプバーンを抜擢。監督の“アイシーブロンド(白っぽい金髪)”への偏愛を考えれば、ヘプバーンの配役は注目に値する。粋でボーイッシュなブルネット娘。ヒッチコックの基準から、これほどかけ離れた女優がいるだろうか? だが、ヘプバーンは以前から巨匠との仕事を切望していた。ヒッチコックのアソシエイト・プロデューサー、ハーバート・コールマンは『ローマの休日』(1953)でヘプバーンと仕事をしたことがあり、1955年3月12日、監督に手紙を書き送っている。

「オードリーはあなたがいつ一緒に映画を撮ってくれるか、知りたがっています。あなたと仕事がしたいと熱烈に望んでいるのです」

 『判事に保釈なし』は、ヘプバーンとヒッチコックがタッグを組むには完璧なプロジェクトに思われた。そして、しゃれたコメディタッチの原作、テイラーの巧みな脚本、新たな時代の幕開けにあるロンドン、ヘプバーンとローレンス・ハーヴェイ(リチャード・バートンやケーリー・グラントとする説もある)のロマンチックなカップルといった要素が合わされば、ヒッチコックの傑作リストに名を連ねた可能性は高い。だが、実現しなかった。理由には諸説ある。

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問題は「レイプシーン”があったかどうかではない」

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脚本を気に入っていたヘプバーン Sunset Boulevard / Gett Images

 一説によると、ヘプバーンがエリザベス役にサインをした後、脚本に”レイプシーン”が追加され、それを彼女が拒否したためにプロジェクトがお蔵入りになったという。確かに、ヒッチコックならそういう姑息な手を使ってもおかしくはない。だが、テイラーが書いた草稿と初期の構成案の、どちらにも既に該当シーンは含まれていた。つまりヘプバーンはまず間違いなく読んでいたはずだ。さらに言えば、そもそもそのシーンが実際に“レイプ”といえるものなのかどうかには議論の余地がある。エリザベスと売春組織の元締めであるエドワードがロンドンのハイドパークで出会うシーンが、問題の箇所だ。エリザベスは、いやいやながら彼の手に落ちたようにみえる。このシーンは、次のように終わる。

 エリザベスを抱きしめたエドワードが、両腕を彼女に回す。カメラが寄っていき、2人のアップがスクリーンを埋める。エリザベスは勇気を奮い起こして微笑もうとする。エドワードが唇を近づけキスをすると、カメラはさらに寄り、男の頭部で彼女の顔が完全に隠れる。エドワードの頭がスクリーンいっぱいを占め、その首にはエリザベスの手がからみついている。シーン終わり。無音、だが遠くでかすかに劇伴が鳴っている。

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キャンセルの理由は私生活での出来事が原因か? Sunset Boulevard / Gett Images

 シーンは不快かつストーリーの本筋と矛盾するものだが、作品全体を揺るがすほどでないのは確かだ。そして、ヘプバーンがこの場面に反対したという証拠はなく、実際はまったく逆だった。ダイアナ・メイチック著の評伝によれば、ヘプバーンは「ヒッチコックが送ってくれた脚本はすばらしいものでした」と語っている。

「ストーリーは絶対に忘れられないわ。私はロンドンの弁護士役なの。オールドベイリーの中央刑事裁判所に務める判事の父親が、売春婦殺しのぬれぎぬをきせられる。そこで娘の私が父親を弁護することになるの。証拠を集めるために雇うペテン師はローレンス・ハーヴェイが演じる予定だった。わたしはわくわくして、ヒッチコックに契約書を送ってくださいとお願いしたの」(『オードリー・ヘプバーン』藤井留美[訳])

 問題の“レイプシーン”については、何も触れていない。メイチックの評伝によれば、ヘプバーンの降板理由は契約書を請求した後に経験した流産のせいだという。

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ヒッチコックは、豪華で多額の予算をかけるスター映画に飽き始めていた

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グレイス・ケリーとヒッチコック Manchester Daily Express / Gett Images

 果たして、真相はいかに? ヒッチコックが手を引いてヘプバーンに責任を被せたのか、それとも単に彼女の復帰を期待して1年間プロジェクトを延期したのか——。「延期は実際、ヒッチコックのためにプラスに働いた可能性がある。監督は構成案のエンディングだった競馬場でのシーンをひどく撮影したがっていた。だが、撮影が延期されたため、実際のダービーの撮影が不可能になり、結果としてエンディングを変更せざるをえなくなった」。ヒッチマニアで著書もあるスティーブン・デローザは、alfredhitchcockgeek.com(現在このサイトはない)にてそう分析している。

 それと同時に、ヒッチコックは豪華で多額の予算をかけるスター映画に飽き始めてもいた。『判事に保釈なし』もまたワイドスクリーンのテクニカラー作品になっていただろう。そんなヒッチコックが新たに興味を示したのは、低予算で手軽に製作できる作品だった。粗悪なB級映画が次々に大金を稼ぐのは、なぜなのか? ヒッチコックは首を捻った。では、よくできたB級映画だったらどうなのだ? その疑問によって、ヒッチコックの新たなる“名作”の時代がやってきたのである。

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『鳥』(1963年)撮影現場のヒッチコック Sunset Boulevard / Gett Images
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目の回るような方向転換、そして『サイコ』が生まれた

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『サイコ』で大成功を収めたヒッチコックullstein bild Dtl / Gett Images

 おなじみの路線を嫌ったヒッチコックが『判事に保釈なし』をお蔵入りにしたとの見方を信じれば、監督の次なる一手は目の回るような方向転換だった。それまでのワイドスクリーン&テクニカラーではなく、低予算のショック映画だ。80万ドルの製作費で、テレビ業界のスタッフを使って白黒で撮影した『サイコ』は、公開以来3億4,000万ドル以上を稼いでいる。

「立派な映画にみえようが、小さなくだらない映画にみえようが、そんなことはどうでもいい。わたしは最初から偉大な映画をつくろうなんて意図を持って取り組んだのではない」(『ヒッチコック映画術』山田宏一[訳])と、ヒッチコックはフランソワ・トリュフォーに語っている。

Original Text by ロビン・アスキュー/翻訳協力:有澤真庭 構成:今祥枝

「The Greatest Movies You'll Never See: Unseen Masterpieces by the World's Greatest Directors」より

次回は12月20日更新:オーソン・ウェルズ「死ぬまでフィルム編集、オーソン・ウエルズの永遠に終わらないドン・キホーテ」です。

※当初、次回更新を13日と告知していましたが正しくは20日でした。お詫びの上訂正いたします。

連載・幻に終わった映画たち 今後のラインナップは以下の通りで3月まで続きます。

連載第9回  ダーレン・アロノフスキーの『バットマン:イヤー・ワン』

連載第10回 コーエン兄弟の『白い海へ』

連載第11回 デヴィッド・リンチの『ロニー・ロケット』

連載第12回  セルジオ・レオーネの『レニングラード』

連載第13回 フランシス・フォード・コッポラの「メガロポリス」

連載第14回 デヴィッド・フィンチャーの『ブラック・ホール』

連載第15回 ティム・バートンとケヴィン・スミスの『スーパーマン・リヴス』

 また、本連載は12月1日に書籍にて発売となった“誰も観ることが出来ない幻映画50本を収めた”「幻に終わった傑作映画たち」(竹書房)の一部を再構成したものです。(B5変形判・並製・264頁・オールカラー 定価:本体3,000円+税)

書籍「幻に終わった傑作映画たち 映画史を変えたかもしれない作品は、何故完成しなかったのか?」の概要は以下の通りです。

幻に終わった傑作映画たち
「幻に終わった傑作映画たち 映画史を変えたかもしれない作品は、何故完成しなかったのか?」竹書房刊

偉大なる監督たちの“作られなかった傑作映画”たち……なぜそれらはスクリーンに辿り着くことができかなかったのか——巨匠たちの胸に迫る逸話の数々を、脚本の抜粋、ストーリーボード、セットでのスチルや残されたフッテージたちを添えて描き出す。さらに各作品には、定評あるデザイナーたちによって本書のために作られたオリジナル・ポスターも掲載。収録図版数400点以上。

お買い求めの際には、お近くの書店またはAmazonなどネット通販などをご利用ください。

竹書房公式サイト

【本書に掲載されている幻映画の一覧】

チャールズ・チャップリン監督『セントヘレナからの帰還』

サルヴァドール・ダリ&マルクス兄弟『馬の背中に乗るキリンサラダ』

セルゲイ・M・エイゼンシュテイン監督『メキシコ万歳』

エドガー・ライス・バローズ原作『火星のプリンセス THE ANIMATION』

名作『カサブランカ』続編『ブラザヴィル』

カール・テオドア・ドライヤー監督『イエス』

H・Gウェルズ×レイ・ハリーハウゼン『宇宙戦争

アルフレッド・ヒッチコック監督×オードリー・ヘプバーン『判事に保釈なし』

ジョージ・キューカー監督×マリリン・モンロー『女房は生きていた』

ロベール・ブレッソン監督『創世記』

アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督『地獄』

フェデリコ・フェリーニ監督『G・マストルナの旅』

アルフレッド・ヒッチコック監督『カレイドスコープ』

スタンリー・キューブリック監督『ナポレオン』

オーソン・ウェルズ監督『ドン・キホーテ』

宮崎駿監督『長くつ下のピッピ』

ジェリー・ルイス監督・主演『道化師が泣いた日』

オーソン・ウェルズ監督×ジョン・ヒューストン主演『風の向こうへ』

マイケル・パウエル監督×シェークスピア原作『テンペスト

アレクサンドル・ホドロフスキー監督×フランク・ハーバート原作『デューン/砂の惑星

ショーン・コネリー主演、もうひとつの007『ウォーヘッド』

フィリップ・カウフマン監督、幻の映画版第1作『スタートレック プラネット・オブ・タイタンズ

セックス・ピストルズ主演×ラス・メイヤー監督『誰がバンビを殺したか?』

スティーヴン・スピルバーグ監督『ナイト・スカイズ』

ピーター・セラーズ主演『ピンク・パンサーの恋』

サム・ペキンパー監督『テキサス男』

ルイ・マル監督×ジョン・ベルーシ主演『マイアミの月』

リンゼイ・ナダーソン監督×チェーホフ原作『桜の園

オーソン・ウェルズ監督『ゆりかごは揺れる』

フランシス・フォード・コッポラ監督『メガロポリス』

D・M・トマス原作『ホワイト・ホテル』

セルジオ・レオーネ監督『レニングラードの900日』

デヴィッド・リンチ監督『ロニー・ロケット』

デヴィッド・リーン監督『ノストローモ』

テリー・ギリアム監督『不完全な探偵』

スタンリー・キューブリック『アーリアン・ペーパー』

アーノルド・シュワルツェネッガー主演×ポール・ヴァーホーヴェン監督『十字軍』

リドリー・スコット監督『ホット・ゾーン』

ケヴィン・スミス脚本『スーパーマン・リヴス』

ダーレン・アロノフスキー監督『バットマン:イヤー・ワン』

第二次世界大戦の悲劇『キャプテン・アンド・ザ・シャーク』

コーエン兄弟『白の海へ』

ニール・ブロムカンプ監督『HALO』

ウォン・カーウァイ監督×ニコール・キッドマン主演『上海から来た女』

マイケル・マン監督『炎の門』

リドリー・スコット×ラッセル・クロウ主演『グラディエーター2』

ジェームズ・エルロイ原作×ジョー・カーナハン監督×ジョージ・クルーニー主演『ホワイト・ジャズ』

デヴィッド・フィンチャー監督『ブラックホール』

スティーヴン・スピルバーグ監督×アーロン・ソーキン脚本『シカゴ・セブン裁判』

ジョニー・デップ主演・製作総指揮『シャンタラム』

デヴィッド・O・ラッセル監督『ネイルド』

ジェリー・ブラッカイマー製作『ジェミニマン』

チャーリー・カウフマン監督・脚本『フランク・オア・フランシス

トニー・スコット監督『ポツダム広場』

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