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特別枠「ディズニー・アニメーション90年の歴史」【後編】

今週のクローズアップ

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今週のクローズアップ ディズニー・アニメーション90年の歴史【後編 1/3】

 2013年に創立90周年を迎えたディズニー。最新作の『アナと雪の女王』はもちろん、『白雪姫』『シンデレラ』といった作品は今なお多くのファンの心をつかんでいる。
 ここでは、1990年代以降の長編アニメーションの歴史を振り返るとともに、それぞれの先進性や位置付けをたっぷり紹介し、連綿と受け継がれているディズニーの伝統に迫った。(数字は全て1ドル100円計算)

【前編はこちら】

第2期黄金期:ディズニー・ルネッサンス

 ディズニーにとっては暗黒期ともいえる1980年代だったが、1989年に公開された『リトル・マーメイド/人魚姫』は当時、ディズニー史上最大の成功を収めたアニメーション映画となり、10年にわたって続く“ディズニー・ルネッサンス”の始まりを告げる作品となった。特に1991年からは『美女と野獣』『アラジン』『ライオン・キング』といった今なお語り継がれるディズニーの名作を立て続けに発表し、一つの頂点を極めた。

 

『リトル・マーメイド/人魚姫』より
Buena Vista Pictures/Photofest/MediaVast Japan

 この時代の成功を経営面で支えたのは1984年にCEOに就任した元パラマウント ピクチャーズ社長のマイケル・アイズナー、そしてアイズナーが連れてきた映画部門の責任者ジェフリー・カッツェンバーグであり、制作面で中心になったのは1980年代に旧世代のアニメーターと入れ替わるように台頭してきた若い世代のアニメーターたちだった。外様による体制となった前者とは裏腹に、後者はディズニー家が私財を投じて発展させてきたカリフォルニア芸術大学の卒業生たちが多くを占めており、1923年から続くディズニーの伝統を着実に引き継いでいた。

 

一時代を築き上げたマイケル・アイズナー
Evan Agostini / Getty Images

 だが、『ライオン・キング』が公開された1994年に二つの大きな出来事が起こる。アイズナーを支えたCOO(最高執行責任者)のマイケル・ウェルズが事故死し、そのポストをめぐってアイズナーとカッツェンバーグが対立。結果、カッツェンバーグがディズニーを退社するという事態に至ってしまう。続く『ポカホンタス』『ノートルダムの鐘』『ヘラクレス』『ムーラン』『ターザン』といった作品は商業的成功を収め、“ディズニー・ルネッサンス”という一時代を築くものの、長続きはせず、2000年代前半から、ディズニー・アニメーションは再び低迷期に突入することになる。

 

カッツェンバーグ(右)は後にスティーヴン・スピルバーグ(左)とドリームワークスを立ち上げる
Jeff Kravitz / FilmMagic, Inc / Getty Images

 全ての作品に当てはまるわけではないが、ここで“ディズニー・ルネッサンス”に発表された作品の特徴をまとめてみよう。一つ目はブロードウェイミュージカル・スタイルの採用であり、これは1988年の『オリバー/ニューヨーク子猫ものがたり』での成功が大きいといわれている。特にアラン・メンケンは「アンダー・ザ・シー」(『リトル・マーメイド/人魚姫』)、「ホール・ニュー・ワールド(新しい世界)」(『アラジン』)をはじめとする楽曲を提供し、“ディズニー・ルネッサンス”を代表する存在となった。

 

“ディズニー・ルネッサンス”の立役者の一人であるアラン・メンケン(左)
Rick Rowell / Disney ABC Television Group / Getty Images

 二つ目の特徴には、アメリカ外を舞台にした物語が多いことが挙げられる。『ライオン・キング』はアフリカ、『アラジン』がアラブ圏、『ノートルダムの鐘』はフランス、『ヘラクレス』はギリシャ、『ムーラン』は中国……というふうな具合であり、海外を舞台にすることによって、インターナショナルマーケットでの成功を想定していたことがうかがえる。

 

アフリカが舞台! - 『ライオン・キング』より
Walt Disney Pictures / Photofest / Zeta Image

ディズニー・アニメーション全作紹介PART3(1989~1999)

『リトル・マーメイド/人魚姫』(1989年)

 『眠れる森の美女』以来、実に30年ぶりに童話を原作にした作品。ディズニーの新たな黄金期の始まりを告げる作品であり、本作から『ターザン』(1999年)までの期間は“ディズニー・ルネッサンス”と呼ばれ、多くの名作が発表された。アンデルセン「人魚姫」が原作でありながらハッピーエンドで終わるという大胆な脚色や、後にディズニーを代表する作曲家となるアラン・メンケンを起用したミュージカルナンバーなど、現代におけるディズニー・アニメーションのイメージを決定付けた。第62回アカデミー賞では、作曲賞・歌曲賞を受賞した。

 

『ビアンカの大冒険/ゴールデン・イーグルを救え!』(1990年)

 1977年に発表された『ビアンカの大冒険』の続編。ディズニー・アニメーションのクラシック作品としては初の続編となる。“ディズニー・ルネッサンス”に発表された作品の中では知名度も低く、興行的にも成功したとは言い難いが、決して評判は悪くない。だが本作がより重要な意味合いを持つのは技術革新面で、セル画を使わず、CAPSと呼ばれるコンピューターのシステムが導入された。これにより、これまで以上に自由な画面作りができるようになっただけでなく、制作スピードは上がり、コストも削減できるようになった。

 

○『美女と野獣』(1991年)

 言わずと知れたディズニーの傑作。第64回アカデミー賞では、アニメーション映画として初めて作品賞にノミネートされたことからも、その完成度の高さがわかるだろう。最初に映画化の企画が持ち上がったのはウォルト・ディズニーが存命だった1930年代のことであり、実に半世紀越しの映画化となった。また、製作初期はミュージカルスタイルではなかったが、『リトル・マーメイド/人魚姫』の成功を受けて、急きょミュージカルとして製作されることになった。

 

○『アラジン』(1992年)

 『リトル・マーメイド/人魚姫』の製作陣が手掛けた作品で、主題歌の「ホール・ニュー・ワールド」は爆発的なヒットを記録した。背景は風刺画家アル・ハーシフェルドの柔らかな曲線の影響が随所に見られるほか、コンピューターがフル活用された。魔法のじゅうたんやタイガーヘッド洞窟のシーンはその筆頭だろう。ちなみに舞台の参考になったのはイランにあるイスファハンという街で、同地はレイアウト担当者の故郷だった。

 

○『ライオン・キング』(1994年)

 『アラジン』などと並行して製作が進められていた作品で、監督のロジャー・アラーズロブ・ミンコフを含め、スタッフは若手を中心に構成された。作曲家もアラン・メンケンではなく、後に『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズなどを手掛けることになるハンス・ジマーが起用されるなど、今となってみれば異色ともいえる製作体制だった。だがふたを開けてみれば、これまで以上の大ヒットを記録。2013年に『アナと雪の女王』が公開されるまではディズニー・アニメーション・スタジオの作品では史上最大のヒット作になった。

 

『ポカホンタス』(1995年)

 ディズニー・アニメーション史上初めて歴史的事実に基づいた作品で、アメリカ先住民族の女性ポカホンタスと冒険家ジョン・スミスの恋物語となっている。ネイティブアメリカンの文化を題材にし、子どもではなく大人をターゲットにするといった意欲的な試みがなされた作品だったが、結果的にはそれらがあだとなり、興行収入は前作を下回ってしまった。製作にあたっては先住民族学の専門家に話を聞くなどの綿密なリサーチがされたが、公開後には人種差別の観点からの批判もされた。

 

○『ノートルダムの鐘』(1996年)

 『ノートルダムのせむし男』として映画化もされたヴィクトル・ユーゴーの小説が原作で、全体的に重苦しいムードが漂っている“ディズニー・ルネッサンス”の中でも異色の作品。美術的演出やレイアウト、背景などは成熟の域に達しており、その点では今なお評価の高い作品となっている。ただし、主人公カジモドの造形が子ども向きでなかったこともあり、興行的には伸び悩んだ。

 

○『ヘラクレス』(1997年)

 モチーフになっているのは、タイトルと同名のギリシャ神話の英雄。『リトル・マーメイド/人魚姫』『アラジン』ジョン・マスカーロン・クレメンツ監督、そして作曲家のアラン・メンケンが3度目のタッグを組んだ作品だが、これまでのような興行的な成功には恵まれなかった。ヘラクレスの母親が神話とは違うことや、ゴスペルを交えたサウンドトラック、軽妙なコメディー調であることも賛否を呼んだ。主人公ヘラクレスなどのキャラクターデザインは石像を基にしており、荒削りでありながらも表情豊かな線が特徴となっている。

 

○『ムーラン』(1998年)

 中国の伝説「花木蘭」を基にした作品で、もともとは短編として製作される予定だったが、後に別のプロジェクトと合流する形で長編化された。フロリダのスタジオで作られた最初の長編アニメーションで、アニメーション表現は中国美術の簡潔な表現などにインスパイアされている。群衆シーンには新しいコンピューターのソフトウェアが用いられており、技術的な側面でも見るべきところは多い。例えば、フン族の侵攻シーンなどはコンピューター・アニメーションだからこそ実現できたものだ。

 

○『ターザン』(1999年)

 これまでにもたびたび実写化されてきたエドガー・ライス・バローズの小説の初のアニメ映画にして、一時代を築いた“ディズニー・ルネッサンス”の最後を飾る作品。1億3,000万ドル(約130億円)という破格の製作費が注ぎ込まれたが、4億5,000万ドル(約450億円)に迫る興行収入を記録した。この作品では「ディープ・カンバス」という立体感のある3D背景を実現するソフトウェアが使用されており、「ディープ・カンバス」は後にアカデミー賞を受賞。今後のディズニー・アニメーション作品の可能性を広げることに成功した。

 

○『ファンタジア 2000』(1999年)

 1940年に発表された『ファンタジア』はクラシック音楽とアニメーションを融合するという試みを見事に成功させた作品だった。本作は『ファンタジア』と同じコンセプトに、新時代のディズニーのアニメーターが挑んだ作品。ウォルト・ディズニーは『ファンタジア』の発表時、映画の一部を定期的に入れ替えていくという構想を持っており、それは実現しなかったものの、約60年後に『ファンタジア 2000』という形で結実した。製作総指揮を務めたのはウォルト・ディズニーのおいであるロイ・エドワード・ディズニー

 
 

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【関連リンク】
『アナと雪の女王』劇場公開 記念キャンペーンページ

【参考文献・資料】
「ディズニーアニメーション 生命を吹き込む魔法 - The Illusion of Life -」フランク・トーマス、オーリー・ジョンストン 翻訳:スタジオジブリ 日本語版監修:高畑勲、大塚康生、邦子・大久保・トーマス 徳間書店(2002年)
「創造の狂気 ウォルト・ディズニー」ニール・ゲイブラー 翻訳:中谷和男 ダイヤモンド社(2007年)
「DISNEY THE FIRST 100 YEARS - ディズニークロニクル1901-2001」デイヴ・スミス、スティーヴン・クラーク 翻訳:唐沢則幸 講談社(2001年)
「Disney A to Z/The Official Encyclopedia オフィシャル百科事典」デイヴ・スミス ぴあ(2008)
「ディズニーの芸術 - The Art of Walt Disney -」クリストファー・フィンチ 翻訳:前田三恵子 講談社(2001年)

(C)2014 Disney
 

文・構成:編集部 福田麗


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