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ウォルト・ディズニーってどんな人?

今週のクローズアップ

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今週のクローズアップ ウォルト・ディズニーってどんな人?

 傑作ミュージカル映画『メリー・ポピンズ』誕生秘話に迫る感動の映画『ウォルト・ディズニーの約束』がいよいよ公開する。ウォルト・ディズニーが仕事相手で唯一頭が上がらなかったという『メリー・ポピンズ』の原作者パメラ・L・トラヴァース。映画化をひたすら拒んでいたという彼女をいかにして説得したのか。映画化までの舞台裏を追った本作には、ウォルトの知られざる人柄や彼を支えた人々、そしてウォルト自身の苦悩など、知らないことがたくさん! 今回はそんなウォルト・ディズニーの偉業や人物像などをたっぷりクローズアップ。

ウォルト・ディズニー基本情報

■生年月日&出身
1901年12月5日 アメリカ イリノイ州シカゴ出身

■好きなもの
・鉄道
自分の家の庭に鉄道模型を建設してしまうほどのオタクだったという。
・動物
幼いころに住んでいた町でさまざまな動物と触れ合ったウォルトは、大人になっても無類の動物好きとして知られている。
・「2ペンスを鳩に」
週末には決まってシャーマン兄弟(「イッツ・ア・スモール・ワールド」など名曲を作った兄弟)を部屋に呼んで、『メリー・ポピンズ』を代表する歌「2ペンスを鳩に」の引き語りをしてもらっては涙を流していたそう。

■嫌いなこと
・人前でたばこを吸うこと
根元ギリギリまでたばこを吸うほどのヘビースモーカーで知られるウォルト。しかしたばこを吸うのは、誰もいないとき。オフィスで吸うときは、人を通さないようにしていたという。

■この人物に弱い!
・妻のリリアン
愛妻家で知られるウォルト。実はミッキーマウスの名前はリリアンの助言によって名付けられた。ちなみに当初の名前は「モーティマー」。
・娘のダイアンとシャロン
娘の愛読書だった「くまのプーさん」「メリー・ポピンズ」は、彼女たちの要望で映画化した。
・『メリー・ポピンズ』の原作者であるパメラ・L・トラヴァース
実は『メリー・ポピンズ』の映画化は企画から20年近くかかっていた。どんなに絶大な力を持っていたウォルトでさえ、頑固者のパメラにはタジタジだったそう。

■人柄
・おおらかでサービス精神旺盛
ファンのサインにも快く対応し、いつも予備のサインを用意していた。
・普通の人のように振る舞う
どんなに富を得て有名になっても普通の人のように振る舞い、食事をするときは高級レストランより大衆食堂に行きたがっていたという。
・サプライズ好き!
つねに人を驚かすのが大好きなウォルト。『ウォルト・ディズニーの約束』 では、パメラがハリウッドにやって来たとき、宿泊する部屋に巨大なミッキーマウスの縫いぐるみをはじめ、たくさんのディズニーグッズを置いていた。

 

Photofest
ウォルト・ディズニー

Photofest
左から『メリー・ポピンズ』主演のジュリー・アンドリュース、ウォルト、原作者のパメラ・L・トラヴァース
見出し2:ウォルト少年はこんな人物だった!

 ウォルトは1901年12月5日、イリノイ州のシカゴでイライアス・ディズニーと妻フローラの4番目の息子として誕生。父イライアスは、シカゴで大工として働いていたが、当時の日当は1ドルにも満たず、決して楽な生活ではなかったそうだ。

 ウォルトが4歳のとき、一家はミズーリ州の小さな町マーセリーンに移り住む。両親はそこで45エーカーの農園を購入。のちにウォルトは、この町での記憶を「掛け替えのない思い出だった」と振り返っている。静かで豊な土地に、木々の果実や木の実、風にそよぐヤナギ……。ここにある全ての物が彼の想像力を刺激していった。ウォルトは農場で飼っていた動物たちを深く愛していたそうで、豚にまたがって走ったり、泥の中で豚と格闘したりと、その滑稽な姿で周囲を笑わせていたそう。そしてこのころから絵描きの実力を発揮し始め、時に家の壁をキャンバスにして、絵を描いていたそうだ。

 しかし、そんな楽しい田舎暮らしも終わりを迎える。ウォルトが10歳の1911年、一家はカンザスシティーに移住。田舎町から一転、都会で暮らすようになったウォルトは、父が始めた新聞販売業を手伝うようになる。『ウォルト・ディズニーの約束』 で、当時の記憶を彼(トム・ハンクス)がパメラ(エマ・トンプソン)に告白するシーンがあるが、あまり良い思い出ではなかったようだ。毎朝3時半に起床し、雨の日も雪の日も関係なく新聞を配りに行く。かれこれ6年間も働き続けたが、父親から仕事の報酬をもらうことはなかったという。

 そんな苦労の中でも絵を描き続けていたウォルト。当時、パラパラマンガを描いては妹のルースに見せ、喜ばせていたそうだ。「人を楽しませたい」という気持ちと、「絵が好き」という思い。これがのちにウォルトの仕事の基礎となっていった。

 
© 2013 Disney Enterprises, Inc.
『ウォルト・ディズニーの約束』より
実は波瀾万丈な人生

 ウォルトの生涯は、実は周囲の人との衝突の繰り返しだった。絵描きになることを反対していた父親との葛藤から、映画会社の裏切り、従業員の集団退職や大規模なストライキまで、決して楽な道ではなかったようだ。

 実は、ミッキーマウスの誕生のウラにもつらいエピソードが隠されている。それはミッキーマウスが誕生する前の1927年、ウォルトは全編アニメーションの『しあわせウサギのオズワルド』を発表したころの出来事だ。このウサギのオズワルドはたちまち人気キャラクターとなったが、シリーズ2年目を迎えたとき、「オズワルド」の版権をプロデューサーで配給業者であるチャールズ・ミンツに奪われてしまう。しかもスタジオにいた優秀な人材を大量に引き抜かれてしまったのだ。ウォルトのもとに残ったのは、兄のロイ、生涯の友人でありアニメーターのアブ・アイワークスと、わずかなスタッフだけ。この出来事は、ウォルトにとって深い傷となった。しかし、この「オズワルド事件」から、ウォルトは負けじと新たなキャラクターを作ろうと奮闘する。そこで浮かんだのが、以前飼っていたネズミの姿だったという。こうして1928年、世に知られるミッキーマウスが誕生した。

 
Walt Disney Pictures/Photofest
ミッキーマウスが誕生するまでたくさんの障害が!
ディズニーランドができるまで

 ミッキーマウスの成功後も障害はあったものの、ウォルトは次々にアニメーションの革命を起こしていく。世界初の長編カラーアニメーション映画『白雪姫』をはじめ、『ダンボ』『ピノキオ』『ファンタジア』『シンデレラ』『ピーター・パン』『ふしぎの国のアリス』などの名作を世に送り出した。

 富を得たウォルトが次に思い立ったのが「夢の王国」だった。それは幼い2人の娘を連れて遊園地に遊びに行ったときの出来事だった。そこでウォルトは、娘たちは回転木馬に乗って楽しんでいるのに、自分はベンチに座ってポップコーンを食べるだけという状況に気付く。「なぜ大人と子どもが一緒に楽しめる場所が存在しないのか」「それを作るべきではないか」。それがディズニーランド計画の始まりだったという。

 ウォルトの構想はどんどん膨れ上がり、当初は兄のロイさえ「夢の王国」の実現に反対したという。そこでウォルトは当時映画界のライバルとされていたテレビ局と提携し、ディズニーランドの期待をあおる番組「ディズニーランド」を製作。自ら案内役として出演した。こうして国民的人気者になったウォルトは、資金の調達にも成功し、1955年7月17日、カリフォルニア州アナハイムにディズニーランドがオープンした。

 ちなみに『ウォルト・ディズニーの約束』でも、ウォルトがディズニーランドの魅力を紹介するテレビ映像が登場する。それは『ピーター・パン』の人気キャラクターのティンカー・ベルに魔法の粉を掛けられたウォルトが、宙に浮くというもの。こうした期待をかき立てる演出こそが、ディズニーランドの基礎。彼はディズニーランド完成時に「ディズニーランドは永遠に完成しない。世界に想像力がある限り、成長し続けるだろう」と語っていたという。その言葉通り、ディズニーランドは50年以上たった現在も、ディズニー・イマジニアたちの斬新な発想と創造力で、世界中の人々を驚かせ続けている。ウォルトの遺志は現在も引き継がれているのだ。

 
RKO Radio Pictures/Photofest
世界初の長編アニメーション映画『白雪姫』
RKO Radio Pictures Inc./Photofest
実写にもなった映画『ピーター・パン』
Walt Disney Pictures/Photofest
ちなみにモーティマー(右)は、短編作品「ミッキーのライバル大騒動」でミッキーのライバルとして登場している
ウォルト・ディズニーが残した名言

「今、我々は夢がかなえられる世界に生きている」
 夢を実現させる秘けつを知っている人にでも、越せない壁があるなどとは、どうにも信じられない。わたしが思うに、その秘中の秘は四つのCに要約される。つまり、好奇心(curiosity)、自信(confidence)、勇気(courage)、そして不変性(constancy)だ。中でも一番大事なのが「自信」、自分を信じるということだ。ひとたび、こうと思ったら、盲目的に一片の疑いもなく、それにのめり込んでいくということだ。

「まずは自分でやってみる」
 わたしはよく人から成功する秘けつを教えてほしいとか、どうすれば夢を実現できるかと尋ねられる。その答えは「自分でやってみる」ことだ。

「当たって砕けろ、とにかくやれ」
 成功させる方法は一つしかないとわかっていた。当たって砕けろ、とにかくやれ、ということだ。お金、人材、時間にも妥協は許されなかった。大衆がアニメーションを受け入れてくれるかはわからなかったが、質の悪い作品にお金を払わないことだけは確信していた。

「わたしは自分の仕事に満足したことがない」
 わたしはじっとしていることができない。探索し、実験していないとダメなのだ。わたしは自分の仕事に満足したことがない。わたしは自分の想像力の限界を恨んだ。

「映画には哀愁が必要」
 ただ笑わせる、ということ以上のものじゃなきゃいけない。映画館の通路で客が笑い転げていても、それでいい映画を作ったことにはならない。その中に哀愁が必要だ。

<まだまだある! ウォルトの名言集>
「決してうんざりしたり、皮肉な見方をしてはいけない。昨日は過去なのだから」

「過去の栄光の上に座って楽しようという人がいるなら、その人に用はない」

「子どもっぽさ、それはユーモアのセンスを絶対に失わないことと同意語だと思う」

「物事をスタートさせる方法は、口ではなく手を動かすことだ」

「多くのことが学べるのだから、若いうちの失敗は悪いものじゃない」

「大切なのは家族。家族をひとつにすることがわたしたちの願いだ」

 映画『ウォルト・ディズニーの約束』は3月21日より全国公開

参考文献
ウォルト・ディズニー「ウォルト・ディズニーの言葉 -今、我々は夢がかなえられる世界に生きている-」(2012) ぴあ / ニール・ゲイブラー「創造の狂気 ウォルト・ディズニー」(2007) ダイアモンド社

 
Walt Disney Pictures/Photofest
ウォルトとミッキーマウス(1966年)
© 2013 Disney Enterprises, Inc.
1955年の開園以来、変わらないディズニーランドの町並みも必見!
© 2013 Disney Enterprises, Inc.
映画『ウォルト・ディズニーの約束より』

文・構成:編集部 山本優実


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