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最終回スペシャル! 短編映画とわたしのコンフィデンシャル(内密)な関係

LA発! ハリウッド・コンフィデンシャル

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コンフィデンシャル(内密)だったんですが……(^^)>”

実はこのたび晴れてフィルムメーカーとしての夢がかない、わたしが監督・脚本した短編映画『ボクが人間だったとき / When I Was a Human』の配給契約が決まり、来春には世界各国のデジタル衛星放送での放映ならびにiTunesで販売されることになったのです。今回契約を結んだわたしの短編は2001年に製作したもので、「石の上にも3年」どころか11年もかかって世に出すことができた作品です。短編映画といえば、当時は新進フィルムメーカーの見本くらいにしか見られていなかったジャンルですが、ここ10年ほどの間に短編映画の市場が広がり、わたしの作品にも運が回ってきたわけです。

テクノロジーが助けたショート・フィルム業界

わたしのショート・フィルムがクランクインしたのは2001年の夏。そのころのデジタルカメラはまだまだ粒子が荒く、映画館のスクリーンに映すとデジタルのザラザラ感が一目瞭然(りょうぜん)というレベルのものでした。ハリウッドの映画業界でもデジタル映画=素人という感覚が横行しており、新進フィルムメーカーたちもまた、35ミリで映画を撮るというのが夢でした。ご多分に漏れずわたしも大枚をはたいて35ミリで撮影したのですが、その製作費たるや現在では当たり前となったデジタル映画の製作費と比較すると大変なものです。デジタル映画は映画製作者だけでなく、観る側にとっても手軽なものとなりました。映像を手軽にデジタル化できるようになったことで、フィルムを長時間かけてデジタル化するという手間が省け、同時に映像ファイルの縮小化で重いファイルを観られなかった一般家庭のインターネットでも、映画を観ることができるようになったのです。

とはいうものの……

ここまでだと、わたしの作品『ボクが人間だったとき』もテクノロジーの波に乗って苦労なくデビューにこぎ着けたかに見えますが、そこまでの道はイバラの道でした! 一つめの試練は編集の真っただ中にやってきました。それは2001年9月11日のこと。そう、911の同時多発テロ事件です。あの恐ろしい大惨事に世界中がショックを受けたのは皆さんもご記憶のことと思います。ハリウッドでもさまざまなプロダクションが休止や中止に追い込まれ、映画業界はしばらくマヒ状態に陥りました。わたしたちのプロダクションでも、大切な作業を任せていたデジタル処理の担当者が休暇先のパリで足止めを食らって帰れなくなり、その遅延のせいでわたしたちの作品が期日までに仕上がらない可能性が出てきたのです。あの時期、そんな事態が映画業界の至るところで起こっていたのでした。

イバラの道とどまるところを知らず

恐ろしいテロ事件から1週間後、『ボクが人間だったとき』はついに完成し、アカデミー本部にあるサミュエル・ゴールドウィンで業界関係者を招待した試写会を予定通りに決行する運びとなりました。でも心配した通り、招待した業界関係者のほとんどが欠席。映画の出演者とスタッフの家族や友人を集めただけの試写会になってしまったのです。オスカー像が両脇にそびえ立つ舞台の大スクリーンで、自分の作品が上映されたのは、この世でとてもうれしいことの一つでしたが、わたしのキャリアにつながる関係者たちに作品を観てもらえなかったのは本当に悲しいことでした。

でもそんな悲しさとは比較にならないような出来事が、その数年後に起きます。それはわたしの短編映画のインスピレーションだった愛犬インディーの急逝でした。それは、もう少しでまとまりかけていた映画プロジェクトが最終段階で金銭面の不具合からNGになり、かなり落ち込んでいた矢先のことでした。ある朝わたしが起きると、インディーは眠るようにしてこの世からいなくなっていました。突然家族を失ったような悲しみで、数年たった今でも涙が出てくるほどです。インディーが亡くなったと同時に、自分の映画スピリットも死んでしまったような気がしたわたしは、製作への気力も一気に失ってしまったのでした。

それでも地球は回る

そうこうしている間にも世界各地でテレビのデジタル化や衛星放送のチャンネルの増加は進み、映像のテクノロジーも躍進を遂げ始めます。オンラインでの映像が手頃で見やすくなったことで、新しいコンテンツが求められ始めたこともショート・フィルムの普及に大きく拍車を掛けました。これに加えてiPhoneをはじめ、スマートフォンが世界中で爆発的に普及し始めたことで、インターネットがどこでも使用できるようになったことが、それまで地味だったショート・フィルムの歴史を大きく変えていったのです。

ネバー・ギブアップ!

製作業から遠ざかっても大好きな映画自体からは離れられず、映画ジャーナリストとして執筆を始めたわたしは、ある年からアカデミー賞の取材を任され、授賞式前のパーティーなどに出席する機会をいただくことになりました。そんなある日、アカデミー賞短編映画部門の候補作品を一手に引き受けて配給・販売しているショーツ・インターナショナルという会社の方と出会う機会が訪れます。「これ以上のチャンスはない!!」と勇気を振り絞ったわたしは、『ボクが人間だったとき』のことを担当の女性に話しました。作品をぜひ観てみたいと言ってくれた彼女に翌日、速達でDVDを送りました。

それから何の音沙汰もなく3年。今年の春、いいかげんに映画プロジェクトの再立ち上げをせねばと思っていたある日、突然見知らぬ人からのEメールが届きます。読んでみると、以前会ったショーツ・インターナショナルの担当女性のアシスタントからだったのです。体中にエネルギーが湧いてくるのを感じました。わたしと配給契約を交わしたいというメールを読んで、3年もたっていたので冗談かと思ったのですが、今回こそ本当だったのです。「諦めずにいる人のみが最終的な成功を得る」というどこかで読んだ格言を思い出しました。ネバー・ギブアップ! やめてしまったら本当にそこで終わってしまうのです。やめなくて良かった!!

最後に

これからもわたしのハリウッドでの「冒険」は続いていくわけですが、本当に好きこそものの……ということわざ通り、われながら心底、映画が好きなのだなあと思います。同時に子ども時代に大好きな映画を見つけることができた幸運と周囲の方々の励ましに感謝しています。今夢に向かって進んでいる読者の皆さん、もし周囲から「そんなことできっこないよ」と言われても絶対気にしないで自信を持って! ネガティブなことを言う人は夢を持って前進しているあなたをうらやましく思っているからそんなことを言うのです。

いよいよ最後になりましたが、4年もの間ハリコンを応援していただいて本当にありがとうございました。お暇なときはわたしのツイッターに遊びに来てくださいね。また別の企画でお会いできる日を楽しみにしています!

(取材・文 明美・トスト / Addie・Akemi・Tosto)

About Addie

高校留学以来ロサンゼルスに在住し、CMやハリウッド映画の製作助手を経て現在に至る。アカデミー賞のレポートや全米ボックスオフィス考など、Yahoo! Japan、シネマトゥデイなどの媒体で執筆中。全米映画協会(MPAA)公認のフォト・ジャーナリスト。
ツイッターもよろしく!→@akemi_k_tosto

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