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~第33回 2011年7月~

INTERVIEW@big apple

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INTERVIEW@big apple

今月は、リヴ・タイラー主演の『ザ・レッジ(原題) / The Ledge』トム・ハンクス主演のv『ラリー・クラウン(原題) / Larry Crowne』、香港映画の巨匠ツイ・ハークのインタビュー裏話を紹介します。

6月20日自己チューな記者にリヴ・タイラーも苦笑い!?(クロスビー・ストリート・ホテルにて)

(映画)『ザ・レッジ(原題) / The Ledge』

若者ギャビン(チャーリー・ハナム)は、ある出来事を理由に高層ビルから飛び降り自殺を図ろうとするが、そこへ警官ホリス(テレンス・ハワード)が現れる。やがて、ホリスがギャビンの事情を聞くうちにギャビンの自殺の動機が、キリスト教原理主義を唱える隣人夫婦ジョー(パトリック・ウィルソン)とシャーナ(リヴ・タイラー)に関連していることが明らかになっていくというサスペンス・ドラマ。

リヴ・タイラー、パトリック・ウィルソン

映画とはまったく関係のない質問にもオトナの対応を見せたリヴ・タイラー/名優ポール・ニューマンを彷彿させるパトリック・ウィルソン

この日は、デヴィッド・ハイド・ピアース主演の映画『パーフェクト・ホスト 悪夢の晩餐会』の取材もあって、この映画『ザ・レッジ(原題) /The Ledge』を含めて5人もインタビューすることになっていた。『ザ・レッジ~』はリヴ・タイラーパトリック・ウィルソンの取材で、久しぶりにランチが出てラッキーだった。そして予定時間より約40分遅れで、ようやく取材開始。ところが、最初にパトリック・ウィルソンが登場してすぐに、用意していたオーディオのバッテリー残量を示すランプが消えていた……。これはマズイ! しばらく動作確認をしてみたものの、にっちもさっちもいかない。6年間使っていたオーディオも、そろそろ寿命か? と焦りまくったが、念のために用意していた予備の電池を入れたら再び動き出した。良かったぁ~。結局、5分程度のロスはあったが、残りの15分くらいはレコーディングできて、少しホッとした。

まずパトリック・ウィルソンは、若かったころのポール・ニューマンを彷彿(ほうふつ)させた。彼は自分が演じたエヴァンゲリスト(福音を説く人)のキャラクターについて真剣に、細かく説明。彼は一つ一つの質問にゆっくり時間をかけて答えたため、あまり多くは質問できなかったが、話をそらさずに返答していたのが印象深く、映画のイメージ通りまじめで落ち着いた感じの印象を受けた。次に監督のマシュー・チャップマンを取材するはずだったのだが、この時点ですでに時間が押してしまっていて、この後の別件の取材に間に合わないと思ったため、パブリシストの許可をとって急きょ別の部屋に移動し、リヴをインタビューすることに。リヴの取材部屋に行くと、すでに席が埋め尽くされていたので、僕は立ったまま取材しなくてはならなかった。そして、リヴがハイヒールを履いて登場! ただでさえ背の高い彼女が、一層大きく見えた。

始まってすぐに、コメディアンをしながら映画のコラムを執筆しているジェリーという人物が、独壇場でリブに質問し始めた。開口一番「君を見ていると、この映画のように男が命を懸けて君を欲しがる気持ちがわかるよ!」と、まるで口説き文句のような口ぶりで。その後も、「君の子どものマイロという名前はすてきだね。リヴという名前も変わっているよね!」などと映画とはまったく関係ない質問を続けたが、素直なリヴはそのくだらない質問にも丁寧に答え、自分と子どもの名前の由来まで説明する始末……。その時点で話がかなり脱線していて頭が痛かったのだが、追い打ちをかけるように別の記者が、リヴの父親スティーヴンの質問までし出したため、映画の話は結局わずか3、4問程度で終わってしまった……。また、クセ者記者のジェリーは、撮影の時間もリヴと一緒に写真を撮ろうとして、他の記者の撮影の邪魔をしたりと自己チュー全開だったので、僕はリヴに振り向いてもらえるまで写真を撮り続けるハメに……。この男、どんだけ自己チューなんだと憤慨しながら、次の取材時間に間に合うだろうかとハラハラしていた。

6月29日トム・ハンクスはシーザー・サラダがお好き……!?(ソーホー・アップル・ストアにて)

(映画)『ラリー・クラウン(原題) / Larry Crowne』

スーパーマーケットで働いていたラリー・クラウン(トム・ハンクス)は、経済不況の影響を受けてリストラされてしまう。そこでラリーは一念発起して、資格を取るために大学に入学することを決意する。そして彼は、大学生活を満喫するうちに、女教師のメルセデス(ジュリア・ロバーツ)と思いがけぬ恋に落ちていくというロマンチック・コメディー。

トム・ハンクス

ユニークなジョークで会場を大いに沸かせたトム・ハンクス/数多い名作の中で最も思い入れのある作品は『キャスト・アウェイ』だと明かすトム・ハンクス

普段トム・ハンクスはロサンゼルスで取材することが多いせいか、これまで一度も取材したことがなかった。そもそもニューヨークではこの映画の取材はなかったのだが、トム・ハンクスがアップル・ストアで新作のイベントを行うという情報を運よく友人から聞きつけて、急きょ予定していた試写をキャンセルして参加することに。意外にも、イベントの告知が前日とギリギリのタイミングだったためか、会場にはほとんど人がいなかった。ところが店内で30分後にイベントが行われるというアナウンスが流れると、買い物をしていた客が、ぞろぞろ集まってきて会場は熱気にあふれ、騒々しくなった。その間、僕は記者用の席でカメラマンと談笑していたのだが、トム・ハンクスが少し遅れてきたためイベント前の撮影が中止になってしまった! 従って、カメラマンたちはQ&Aの最中に撮影するハメになり、長い間会場で待機していたにもかかわらず、フォトコールがなくなったことに不満を言い始めた。僕は1枚撮るだけで良いので、それほど焦らなかったけど。

イベントが始まると開口一番トムは「僕はアップルの商品には、かなりのお金をつぎ込んだよ」と言って会場を沸かせた。また、彼が話している最中もずっと会場が騒がしかったので、トムは「この下の階では酒でも出しているのかい?」とジョークを飛ばして会場を和ませた。さらにトムは、このロマンス映画を、大作が集中する夏に公開した理由について聞かれると、「最近のスペシャル・エフェクトを使った大作は、夏に限らずいつでも公開されている。だからエグゼクティブ・プロデューサーたちに、いつごろ公開すれば良いだろうかと聞かれても、そんなのいつでも良いだろ! と答えているんだよ」と明かした。そこでいったん司会者が質問を中断して、一般客に質問させようとすると、アップルのスタッフがすぐに観客にマイクを手渡す準備をし始めた。これを見てトムは、「さすがはアップルだ!」と感心。そして、トムのもとに送られてくる脚本については、主題となっているものがしっかりしていなければ、どんなに面白いアイデアやクールなシーンがあっても出演はしないと語った。

最後に観客の1人が、以前トム・ハンクスがアイダホ州を訪れてレストランで食事をしていた際に、たまたまトムの隣の席に座っていて、シーザー・サラダを食べているのを見たと話し始めた。さらにその観客がトムに「これまで出演した作品の中で一番好きな作品は?」と聞くと、トムは「嫌なやつだね!(笑)答えづらいじゃないか! もちろん一応答えるけれど、今度僕がシーザー・サラダを食べる際は、君がそのシーザー・サラダの代金を払えよ!」とジョークで返していたのがおかしかった。ちなみに、この質問にトムは「一番好きな作品というわけではないが、一番思い入れがあるのは、企画から制作まで8年間もかけた『キャスト・アウェイ』だ」と答えた。

7月4日少年時代に影響を受けたツイ・ハーク監督にインタビュー!(リンカーン・センターにて)

過去の作品

1980年代に『男たちの挽歌』や『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』をプロデュースし、1990年代にはワイヤーアクションを駆使した『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』シリーズでメガホンを取ったツイ・ハーク監督が、ニューヨーク・アジア映画祭を訪れ、生涯功労賞を受賞した。

ツイ・ハーク

ワイヤーアクションをいち早く取り入れたことで知られる香港アクションの巨匠ツイ・ハーク/少年時代に影響を受けた、あこがれのツイ・ハークとの貴重な2ショット

この日のアメリカは独立記念日で、サブウェイの運行状況が通常とは違っていた……。僕の住むクイーンズ駅からマンハッタンに向かうサブウェイが走っておらず、一度逆方向に一駅下ってからマンハッタン行きに乗らなければならなかった。ニューヨークでは、こんな変更を当日に紙を掲示して知らせることが多いのだが、僕はその変更をまったく知らなかった。それでも通常僕は、取材現場に30分前に着くように出ていたため、駅でこの掲示を見ても大して問題ないと思っていた。ところが……、20分たってようや電車が来てホッとしたと思ったら、なんとその電車は一駅に約4、5分程度停車していて、なかなか動かないのだ! 香港の巨匠を待たせるわけにはいかない、遅れるかもしれないと焦った僕は、ニューヨーク・アジア映画祭のディレクター、グレイディー・ヘンドリックスに電話で電車遅延の状況を知らせることに。結局、現場には5分ぐらい遅れて到着したが、運良く前の取材が多少遅れていたため、僕の取材時間は削られることなく開始された。

まず、ツイ・ハークにアメリカの大学で映画を勉強した経験について聞くと、彼はアメリカに行く前に日本に行くべきかと迷った時期があったことを語った。もしも彼が日本で学んでいたら、多少彼の作風は変わっていたかもしれない。彼が大学で学んだ後に、ドキュメンタリー映画の制作にかかわったり、ニューヨークにある中国のローカル新聞のリポーターとしても仕事をしていたのは、僕にはかなり意外に感じられた。次のお題は、一躍彼の名を世界中に知らしめたワイヤーアクションについて。なんでも、当時の武侠(ぶきょう)映画を撮るには動きに限界があったため、より動きをもたせるためにワイヤーアクションを使用したらしい。その時代に働いていたスタッフの一部は、現在ハリウッドでも活躍しているそうだ。一方、ハリウッド進出については、「映画『ダブルチーム」や『ノック・オフ』でメガホンを取ったが、自分で書いた脚本ではなかったのでどういうスタイルで撮ったら良いのか、困惑した」と明かした。実はその後も、ハリウッドからオファーがあったらしいが、香港に戻って映画を撮り続けていたそうだ。最後に、香港の監督協会から功労賞を贈られたときには(この賞を受け取るには自分はまだ)若過ぎると思ったが、今回ニューヨーク・アジア映画祭で生涯功労賞を受賞したことは、素直にありがたいと思ったそうだ。普段取材相手に個人的な撮影を要求しない僕だが、今回は取材用の写真とは別に彼との2ショットを撮らせてもらった。

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