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新藤兼人監督、死去 享年100歳 老衰のため

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新藤兼人監督 ご冥福をお祈りします - 写真は昨年9月イベント時のもの
新藤兼人監督 ご冥福をお祈りします - 写真は昨年9月イベント時のもの

 『午後の遺言状』などで知られる、映画監督の新藤兼人さんが29日午前9時24分、老衰のため自宅で死去した。100歳だった。

 新藤監督は、1912年に広島県で生まれ、1934年に新興キネマ美術部に入り映画界でのキャリアをスタート、溝口健二監督に師事した。1950年に松竹を退社した後は、吉村公三郎監督らと近代映画協会を創立。1951年に『愛妻物語』で監督デビューを果たした。その後はシナリオライター、映画監督として活躍。『裸の島』『鬼婆』『竹山ひとり旅』『原爆の子』など数多くの作品を発表し、国内外の映画賞を多数受賞した。

 また邦画界最高齢の現役映画監督としても知られ、「映画人生最後の監督作」と語った、2010年の人間ドラマ『一枚のハガキ』では、ノミネートはならなかったものの、第84回アカデミー賞外国語映画賞部門の日本代表作品として出品。今年4月22日には100歳の誕生日を迎えたばかりだった。

 告別式は来月3日に港区の増上寺で行われる。喪主は近代映画協会社長で、新藤監督の次男・新藤次郎氏が務める。(編集部・入倉功一)

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